2013/05/27

新築にて新冷媒エアコン取付けと遺跡「東宮石」の話

本日は、朝7時半に会社を出ました。
 
平均すると、1日1台ペースでエアコン工事しています。
 
先日から来ている住宅地です。
 
5棟あって偶然全軒からエアコン工事を請けてます。
新設や移設で全部で約15台位のご依頼で、これで7台目かなと思います。

初日に1階リビングのエアコンを新設させていただきましたが、追加で2階の洋室に取付します。

しっかりと、床面を毛布で養生した後作業開始です。
 


とにかく、汚さないように、きれいに、長持ちするように気を付けます。
 


何気ないエアコン工事ですが、実はホームページでも紹介させていただいているように、こだわりの部材を使用した専門店ならではのエアコン工事を実践しております。
 

 

 

 
当店は少人数でやってますので、特別な売出しや営業活動はしておりませんが、おかげさまで、この時期は特に忙しくさせていただいてます。
 
本日のおまけの写真ですが、
先日リフォームさせていただいたお客様宅の隣にある遺跡のご案内です。
 

 
私、このような遺跡の紹介看板大好きなんです。
 
これは、「東宮石」といって古事記に出てくる、ときの皇太子が女性問題が発覚して伊予の国に流されたさいに、船をつないだとされる石なんです。
 
当時は海際だったのが、現在は住宅地になってます。

 

 
市内の宮内庁陵墓参考地、「東宮山古墳」は有名ですが、こちらの「東宮石」はあまり知られていないです。
 
こんな話です。
 
木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)は允恭天皇の第一皇子、皇太子であった。

『古事記』によれば、允恭23年立太子するも、同母妹の軽大娘皇女(かるの おおいらつめ)と情を通じ、それが原因となって允恭天皇の崩御後に廃太子され伊予国へ流される。その後、あとを追ってきた軽大娘皇女と共に自害したと言われる。(衣通姫伝説)

『日本書紀』では、情を通じた後の允恭24年に軽大娘皇女が伊予国へ流刑となり、允恭天皇が崩御した允恭42年に穴穂皇子によって討たれたとある。
 
悲恋です・・・
 
 
 
 

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